ドイツ装甲師団は

数量ではドイツ軍に勝る連合軍戦車部隊を戦車運用力の巧みさで打ち勝った(電撃戦)。独ソ戦でも未経験な発展途上のソ連戦車部隊を破った。しかし、戦車戦術では後進国であったアメリカが、生産力に物を言わせて連合軍に大量の戦車をレンドリース法(武器供与法)に載せて本格的に供与し、イギリスが機甲師団を増強し始めた。ソ連もアメリカ・イギリスからの武器供与だけでなく、シベリアに疎開させた工場でT-34などのドイツより優秀な戦車の大量生産を始めた。特にアメリカの戦車は、戦車単体の性能は高くないものの、生産量は莫大であり、機械的信頼性も高かった。1942年以降、戦争は機甲師団同士の戦闘が多くなり、生産力に劣るドイツは補給に問題が目立って来た。1942年末から43年にかけ、エル・アラメインの戦いとスターリングラード攻防戦の敗北以後、ドイツは防戦一方となる。もとより空軍との連携作戦を新戦術としたドイツ軍の攻撃は制空権を失ったことにより、威力を失った。以後欧州戦線はイギリス、ソ連、アメリカ、自由フランスの機甲部隊が大活躍する舞台へと一変した。
update:2009年09月12日